戦前の徳島を見る

昼過ぎ、起床。

大道の「めん処かつら」にて昼ご飯。肉おろしぶっかけ。肉が分厚い。讃岐スタイルおでんもいただく。「さぬきの夢2000」を使っているとか。お昼時、大変賑わっていました。

文化の森へ。駐車場は満車、しばらくぐるぐる回って何とか駐車、ここも賑わってる。今日は「徳島県立文書館」の「歴史資料としての写真を考える2 〜写真からよみがえる戦前の徳島市〜」へ。

戦前の徳島市内を写した写真を読み解いていくというシンポジウム。年齢層かなり高め。覚えておいることを拾い書き。

かつて眉山(大滝山)山腹にあったシンボル三重塔や料亭、来徳した外国人もここでお接待されたとか、寺町は宗派ごとに棲み分けられている、徳島駅前から新町筋は戦時中に戦災時の延焼を防ぐために拡張されたが結局すべて燃えてしまった、長屋路地裏の研究は都市研究の中でも進んでいない分野、現在は埋め立てられて線路になっている寺島川、「財団法人名東郡自治協会」は未だに幸町に存在、地代で稼いでいるとか、昭和5年マキノ雅弘の傑作「阿波の踊子」旧賀島屋敷前(当時は市庁舎)撮影風景、船場の藍倉が立ち並ぶ風景、建設中の県庁、もともとはその県庁に植えられていたという駅前にあるワシントンヤシの由来、船舶で賑わう中州(現ケンチョピア)周辺など。徳島市の大きな人口移動は明治維新後と戦災後の二回あり、古い徳島を知っている人は意外と少ないとか。

北島でミスドマクド購入。

鳴門へ。徳島ヴォルティスvs栃木SC戦観戦。